会釈を意識してみた

なんとなく

世の中おだやかになったらいいのになあ。
みんな、少しずつゆずりあってさしだそうよ。ムリない範囲で。

いつもいつも、同じようなコトを言っている私。

しかし最近は外出するたびに、なんとなく、ギスギスしたりザワザワした空気を感じていい気分になれない。

混んでいる電車では、もう少しつめて座ったらあと一人は座れるのに足を広げてゆったり座っているヒト。

スーパーでは、バラ売りのピーマンが段ボール箱に入っている。カタチや色、好みで少々選ぶのはよく見かける光景。
しかし、段ボール箱の一番奥底まで掘りおこして選ぶヒトには違和感。

すれ違うには、せまい道。少し前の時代には、すれ違うトキにお互いゆずりあうのが一般的。しかし最近は、私が立ち止まりむこうからくるヒトに道をゆずるコトが増えている。

電車で座りたいわけではないし、少しでも完璧なピーマンがほしいワケではないし、私が先に道を通りたいワケではない。

しかし、なんとなく、そのささやかな所作に疲れてしまう。
そして、私の所作も雑になっていったような気がする。

いや、それじゃナニも変わらない。ヒトのせいにしている。

そうか。ではまずは…私。会釈を意識してみよう!

電車を降りるトキ。前を横切るヒトに会釈をして場を離れる。前を失礼します、の気持ち。


せまい道をすれ違うトキには会釈をして、むこうからくるヒトに道をゆずる。急いでいないので、お先にどうぞ、の気持ち。

ピーマンを掘りおこしているヒトに会釈をする。そして横から私もピーマンを取る。邪魔してごめんなさい、の気持ち。

などなど。会釈、会釈、会釈。

そうすると、不思議なコトにみなさん、私に会釈をかえしてくださる。なんとなく、一瞬空気がやわらぐような感覚。

そうそう。私がのぞむささやかな日常。

ま、まず私が動かないと、ね。

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