ヒトは、うまれて与えられた環境は「いるべき場所」と捉える。特に、小さいコロは。
成長して、アタマで考えて、別の「いるべき場所」を模索するヒトもいる。
成長して、アタマで考えて、その「いるべき場所」を守りつづけるヒトもいる。
正解も不正解も常識も非常識も、関係ない。
ただ、ヒトはいつでも、どこでも、常に「いる場所」をもつ。
あなたがいるのがあたりまえの空間。
貴殿や貴女がいないのは、あたりまえではない空間。
いま、ひとりを感じているのなら、これから見つかる空間。あたりまえの空間。
場所は、空間?
どうなのだろう。
居場所は、建物のコトだけをさしているワケではない。
家族や組織、ナニカに所属するコトだけをさしているワケではない。
自分のココロが素の無の状態で、落ちつくトコロ。損得打算計算ぬきに、のびのびできるトコロ。
私にとっては両親がいる家族が、あたりまえの空間だった。
結婚して家族が増えた。あたりまえの空間が増えた。
両親が旅だった。あたりまえの空間をなくした。
はじめて、帰る家がない感覚を知った。私の家族はいるけれど、長年あたりまえのように感じていた安心感を失った。
時間はかかったけれど、目の前から両親がいなくなっても家族であるコトには変わらない。あたりまえの空間は、私のココロにある。
思いだせた、幸せ。

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