コトバは、深い。
「いいよ」
意味は、いくつかある。
どうでも「いいよ」
どっちでも「いいよ」
使って「いいよ」
OK、No、許可、お断り、希望、妥協…まだまだあるかな。
会話なら相手の表情と声のイントネーションから、意図を察するコトができる。
お手紙やメールなら、前後の文脈から察するコトができる。
コトバは、考えだすとキリがないほど奥が深い。
だからこそ、コトバに対するイメージを決めつけてヒトに押しつけるコトには違和感。
前にも少し書いたね。
「がんばって」というコトバをかたくなにイヤがる知人。
「がんばって」というコトバに、罪はない。ココロの底から応援したいトキに、よく使われるコトバ。私には、ネガティブなイメージはないのだけど…。
知人の感覚では。「がんばって」と言われると、「まだまだ努力が足りない、ちゃんとやれ」と言われているような気持ちになるんだって。
では、応援したいトキにはどんなコトバを使えばいいのか聞いてみた。適切なコトバはない。遠くから応援してくれればいい、と言われた。
コトバにしないと伝わらないのになあ…。私は、そう考える。
ま、ヒトそれぞれというコトか。
そして別の知人は「大変そうなヒトが言う大丈夫は、大丈夫なワケない。ダメというコト。察して」
う~ん。いろいろな解釈があるのはわかるけれど、その決めつけはどうなのか。自分でもう少しがんばりたいから、いまは大丈夫という場合もあるよね。また、もうめどがたっているので現状は大変そうでも、近いうちには大丈夫という場合もあるよね。
私は、上手に察するコトはできないかもしれない。しかし、コトバはヒトそれぞれ。押しつけないコトをココロがけ続けたい。

コメント