情報が多すぎて

ことば

昭和を知っている私たち世代。
携帯電話もなかった時代。

手書きで書きものをしたり、調べものがあれば歩きまわり書籍をさがしたりしていた時代。

情報は、テレビや新聞や書籍などから得る。

コトバの意味を調べるには辞書をつかう。

時間がかかる。

少し前の時代は、みなさんアタマをつかって生きていた。

便利なモノがなかったら。
工夫して、自分に最適なやり方をさがしていた。

間違えるコトもあったが、アタマをつかって生きていた。

いまの時代は、片手におさまる小さな板から簡単に情報が入る。
時間も手間もかからない。

便利といえば便利。

私もそうだけど、簡単に情報が手に入ると次にはスピードを求めたり。

すぐに調べられるから、覚えない。アタマをつかって記憶しない。

あふれかえる情報は「正解を教えてくれるコト」ではない。

情報はヒント集め。

「正解」は、ヒントをひもときアタマをつかって考えて見つけるモノ。

「正解」だけではない。自分の生き方、理想、ココロ。

ヒントをひもとき、アタマをつかって見つけるモノ。

最近は情報が多すぎて、アタマをつかって消化する前に、またまたたくさんの情報がふりそそぐ。

たくさんの情報におぼれている日常。
情報が多すぎて考えるコトを忘れたヒトビト。

なんだか違和感。

なんだか心配。

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