似ているようで違うコト@2~一般常識と、つくられた社会的マナー

ことば

私の考え方。正しい間違い、〇×という話ではない。

最近、ご先祖さまやタマシイについて多く書いている私。

ふと、矛盾と勘違いされないかなと思うコトにいくつか気がついた。

そのうちの一つ。
「一般常識」と「つくられた社会的マナー」の違い。

「つくられた社会的マナー」とは、作為的につくられた社会的マナーの意味。

たとえば、日常のごあいさつや手紙には定型文がある。季節のごあいさつ、頭語や結語。御中や殿の使い方。伯父と叔父。
そのあたりのマナーは国語。一般常識の範疇。

(学校が全てにおいて正しい…わけではないが、いったん勉学として)

それをふまえたうえで、場に応じてくずす。それは個性。気心知れた方に、ユーモアふくめたコトバを送るなど。

しかし、たとえば冠婚葬祭のように自分の個性をアピールする場ではないトキ。そういう場では、一般常識にそった言動を選ぶべき。

一般常識と作為的につくられた社会的マナーの違い、みきわめのポイント、なんだろう。

ひと言では表現できないけれども…。

そのマナーの先には、商売がからむのか。

そのマナーの先には、考えるコトをふうじこめられるナニカがあるか。

直感で見ぬけたらいいのかもしれない。
でもそれは私にはできない。
独りよがりの妄想と紙一重。

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