少しお恥ずかしいけれど、幼少期の妄想が、もしかしたら…の、お話。
今書くと、自分で自分のコトをお嬢様というのは違う気持ちがあるし、恥ずかしいけれど、当時の妄想というコトで。
そのことをふまえて、ちょっとした物語を。
幼少期の妄想
そのコのご先祖様は、西洋の大きなお屋敷に住んでいるお嬢さま。
やさしい方々に囲まれて、幸せな日々を過ごしていた。
とてもとても幸せ。
けれども、トキには街の空気感を味わいたいな。
自由に歩いてみたいな。
その気持ちを受けついだ、何世代後の子孫。
ごくごく普通の街のコ。
そのコも、日々の暮らしは幸せだった。
やさしい方々に囲まれておだやかに暮らしている。
トキには友だちにイジワルされたり、ケンカをしたり。
がんばることで手に入られるほしいモノが受け取れなかったり。
そのようなときは、どこからかメッセージが届く。
「さびしさを知りたかった」
「ガマンの先の景色がみたかった」
そのコがツラいとき、メッセージがきこえてくる。自分のコトなのに、お客さんとして演劇を観ているようで、いつも落ちついている。
そのコはツラいトキ、なんとなく大丈夫と思えてあきらめなかった。
自分に起こるコトを劇の台本のように感じていたらしい。
いつかきっと、ハッピーエンドになるんだ。
ただ、どうしても本当に気持ちがむかないコトには、ムリができなかった。
気持ちがむかないコト、たいがいなコトは、日本では習慣化されていても西洋では異質とされるコト。
お嬢さまにそんなコトはさせられない、と、なにかのチカラに守られているかのように。
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