「いやし」も、ヒトそれぞれ

なんとなく

いつも、同じような結論になるけれども。

世の中のほとんどのコトは、ヒトそれぞれ。正解も間違いもない。

犯罪やモラルに問題あるコトは、とんでもない。問題外。
そこまでではなくても自己満足をふりまいて、ほかのヒトを巻きこむようなコトも、迷惑。本当にやめてほしい。

そうでなければ、世の中のほとんどのコトは、ヒトそれぞれ。それぞれのやり方や楽しみ方をしたらいい。

「いやし」も、そう。

知人友人とお食事をしたり、一家だんらん家族でお茶をしたり。スポーツ観戦で近くの席の方々と盛りあがったり。

少し前の時代ならば、「自分」と「相手」が存在するいやしが多かった。

いまの時代、情報はすばやく大量で、ツールも多彩。
だからこそひとりひとりそれぞれに、ここちよいモノがあふれている。

それはそれでかまわないのだけれど、外部を遮断するような「個」の楽しみや、損得計算をモトにつくられたモノをホンモノとだまされて考えるコトを奪われているような「いやし」をときどき見かける。

違和感。。。

最近驚いたのは、私とほぼ同年代のヒト。最近ハマっているのは、AI。
「AIは、いつでも私をほめてくれる。そして私のコトをよくわかってくれている!」
それこそ目をキラキラさせながらうれしそうに話している。

迷惑は、かけていない。しかし、日々小さな板に話しかけていやされているのね…。

私にはない、「いやし」のカタチ。。。

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