私のココロの話。
宗教や信仰も、ヒトそれぞれ。ご家族それぞれ。親族それぞれ。
損得勘定打算ある勧誘さえなければ、信じたナニカを大切にすればいいと、私は思っている。
私の家風は、無宗教。
とはいえ、ご先祖さまの供養にはお線香を使い、実家には神棚はあった。親せきのなかには、チャペルで結婚式を挙げた方もいらっしゃる。
同じようなご家庭を、いくつかみてきた。私の知人友人にも、同じような環境で育った方が何人かいらっしゃる。
以前、とある信仰を大切にしている知人に、内容をくわしく説明された。その考え方に共感して私が入会したらうれしかったそうだ。その内容を否定はしないが、私は入会しなかった。知人の話は損得勘定打算のない信仰の紹介だったので、その後も変わらないお付きあいをしてきた。
信仰があるのも、ヒトそれぞれ。
信仰がないのも、ヒトそれぞれ。
さて、私の両親が旅立ったあと。
生前聞いていた両親の希望通り、ささやかに送りだした。
無宗教、ささやかに両親ののぞんだカタチでの送りだし方ができたと思っている。
父がわが家に引っ越したトキに、お線香台をもってきた。父はご先祖さまに毎朝お線香を供えて手を合わせていた。
私もしばらくは、旅立った両親にむけて毎日お線香。手を合わせていた。
しばらくつづけたが、なんとなく、違和感。
ココロが苦しい。
私らしく両親には「バイバイ、またね」のように手を振ろう。お線香をやめよう。
そのほうが、私らしい供養。私なりの感謝。
ある日、なんとなく思いついて両親へ向きあうカタチをかえてみた。
ココロが軽くなった。
カタチはかえたけれど、思う気持ちはかわらない。
両親の声も、かわらないような気がしている。
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