無言の時間を共有

ことば

昔、だれかと話していたトキのコトを思いだした。
だれかのコトバ。

「ヒトと話しているトキの無言の時間がたえられないんだ」

そのヒトは会話のテンポを大切に考えていたんだね、きっと。
打てば返す、ボール遊びのように。

どうやら、話している相手がだまると気になるらしい。ナニカ失礼なコトを言ってしまったのかな。つまらないのかな。

しかし無言の時間がたえられないので、話しつづけるという。意味があるコトもないコトも。

なるほど。

どちらが正しい間違っているという話ではない。
私は会話のなかでの無言はあまり気にならなかった。

歳を重ねたからかな。いや、昔からだ。
相手のコトバを聞いて解釈する少しの時間がほしい。
その少しの時間を無言と言われるのではなければいいのだけれど。

別のトキ、別のだれかのコトバ。

「会話のなかでの無言、いいよね。気をつかわず話しているからだよね」

なるほど。

どちらが正しい間違っているという話ではない。

私はこちらの方の考え方に共感した。
気をつかわず、話したいトキに話したいコトを話す。
いいね。

会話がない時間も共有できるありがたさ。

家族、知人友人。

空気感、日々のささやかな感覚が合うコトが心地いいんだ。

ありがたいね。

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