父のコピーロボット

両親


ずっとずっとずっと、父親っ子だった私。

ずっとずっとずっと、母親っ子だった私。

父と母の意見が割れたとき、ほとんどの場合、父の意見に賛成だった。母の気持ちもわかる。でも父の考え方が好きだった。

文化的というか、芸術的というか、なかなかステキな仕事をしていた父。82歳まで、週5で都心の事務所まで通っていた。その後も細々と仕事を続けていた。旅立ったときも、すぐ手元に仕事の資料を抱えていた。

その日、夕方まで元気だった父。父に寿命があるなんて。寿命があるのなら200歳くらいまで生きると思っていた。
「ブログ開設のきっかけ」に書いたように父の旅立ったあと数年間は、時の流れを外側からみているようにぽわっとなんとなくの日々。

困ったときには話を聞いてくれた上で「心配ない」と包み込まれながら背中を押してくれた。知識もユーモアもたっぷり。よく食べよくしゃべる。その日からしばらくは、家に無音の時間があることが不思議だった。

頼りにしすぎていたのかもしれない。でも、それでよかったと思っている。
目の前にいてくれたこと、一緒に過ごした時間が私にとっての大きな宝物。
夢でもいいから会いたいと思わなかった。父にやり残したことや後悔がないから。

顔も似ていたし考え方や行動も父の影響が大きかった私。コピーロボットと言われたことは、何回も。「カガミ」と笑いながら顔を向かい合わせたことも、懐かしい思い出。

最近、ふと思う。

私の考え方や行動は、父という土地に母という家を建てたようなカンジ?

母にも似ているのではないかと。二人の融合のような気がしてきた。当たり前といえば、当たり前だけどね。

そして、今になりやっと、二人に、夢でも会えると楽しいと思えるようになった!

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