常識は、いつ学ぶ?

ことば

最近自称マナーの専門家のヒトたちもいるようだけど、おしつけたり決めつけたりする常識ということには違和感。これはまた、別の機会に。

雑に考えると、常識は二種類にわけられそう。

・まわりのヒトを見わたしてみんなが幸せになる喜びをもっていれば自然とわき出る常識。

大皿料理の取り分け。電車でのマナー。お手洗いのスリッパ。使ったモノを元の場所に片付ける。

こちらの常識は、そのヒト次第だけど気がつけばいつでも身につけられる。年齢も職業も関係ない。やさしさがあれば。

・知らなければできない常識。

お悔やみの場で使ってはいけない単語。テーブルマナー。水杯。郵便物の宛名書き。

こちらの常識は、教えていただいたり自分から調べて身につけていく。学ぶ常識。きっかけがなければ自分から調べることはほとんどない。

では、いつ教えていただくのか。私自身、よくわからない。両親から身につけた常識はかなり多いと思う。気になったコトを調べる習慣は昔からあったかな。

身近な方に聞いてみた。知らないとできない常識はどこで教わるのか。職場や学校、幼稚園でも学んだ記憶があるという。

思いかえすと私自身も学校で知った常識がたくさんある。街で知らないお年寄りに話しかけられて聞いたこともある。それこそ今なら不審者扱いされるのかな。

まわりを見わたしてわき出る常識は、もっともっと増やしていきたい。

小さいコトにもキチンとアンテナはって、観察して、感じて、学ぶ常識も増やしたい。

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