子どもは元気。エネルギーが身体中からあふれ出している。
トキには、エネルギーをおさえるべき場面はある。大まかに言うと公共の場。自分たちだけではない空間。
赤ちゃんは仕方ない。まずは自分の生きるエネルギーを発散する。眠い、かゆい、おなかすいた。伝えるために時間や場所を選ぶことはできない。
もう少し大きくなった子ども。身近な親、大人たちが、まわりを見わたすことや、いまこの瞬間どのようにふるまうべきか教える。そして子どもは経験を重ねて誰かに言われなくても状況を判断できるようになっていく。トキには判断を間違えて違う場面でエネルギーを爆発させることも。それはそれで、経験。
子どもが判断をまちがえることは仕方ない。ただ、私は身近な大人がキチンと伝えていないことには違和感を感じてきた。電車で騒ぐ子どもをニコニコみているだけの親、大人。スーパーで走る子どもに店員さんに怒られるからやめなさいと言う親、大人。思いだすだけでも気分が悪い。
しかし最近、気がついた。もっともっと腹立たしく違和感をおぼえるときがあることに。
電車に乗っていたときのこと。エネルギーあふれるお年ごろの子どもが静かに立っている。キチンとした親が一緒…では、なかった。親も子どももイヤホンをしてスマホをみている。子どもの目はイキイキしていない。子どもらしくない。はげしい違和感。
スマホを与えられて、まわりをかんじることなく、夢中になる。だから、おとなしい。
それから電車にのるたびに観察。赤ちゃんでさえ、スマホをかかえている。だからその赤ちゃんはおとなしい。
レストランでもスマホをかかえている子どもたち。おとなしい。
そのレストランで、大泣きしている子どもがいた。店内に響きわたる大きな声で泣いている。近くの席のマダムは不機嫌そうにみている。
私の席からは、みえた。親は、キチンと子どもに声をかけている。コミュニケーションをとっている。ただ、子供の機嫌が悪いだけ。
すぐ近くのテーブルのこと。静かに食べているおとなしい子ども。スマホを片手に。スマホから目を離さない。素手で食べてその手で画面をさわって、ニタニタしている。その親も、スマホをいじっている。
違うよ!ダメダメ!!
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