ブログをはじめて思うところがあり、観察の日々。ご先祖さまを思うこともたびたび。
今年は母の旅立ちから六年。もう六年も、会っていないんだね。
昨年までは、旅立ちの日はうれしくない日だった。さびしい日々がはじまった日のような気がしていた。
今年は少し違う。目の前に両親はいないけれども、私が強く思うと、近くにきてくれている(ような気がする)。
そういう日々、悪くないと思えるようになったからかな。
今年の母の旅立ちの日は、どこ行こうか、なにしようか、一緒に過ごすような感覚で、数週間前から予定を考えていた。強く強く、母のことを考える日々だった。
結局どこでなにをするかは決めないまま、その日になった。
当日の朝、もう数年間使っていない目覚まし時計が突然なった。電池がいきていたこともびっくりしたが、なんとなく、お母さんのイタズラに思えた。数年間使っていない目覚まし時計は他にもたくさんあるけれど、音が一番コミカルなものがなった。
↑この文章、今年の「お母さんのお母さん」命日の朝のできごととしても同じことを書いている。
そう、このころ、お母さんのお母さんのことを強く強く思っていた。その日以来、目覚まし時計は久しぶりになった。
目覚まし時計をとめながら「お母さんも、やるなあ!」とつぶやいてしまった。
昼間はモンシロチョウが、軽やかで楽しそうにとんでいた。
モンシロチョウのお話も前に書いたんだ。母方のお墓参り③という投稿。
結果今日は、電車に少し乗って一緒によく行った街に出てみた。モンシロチョウは、電車を待っているときにみた。お母さん、お出かけがうれしくてはしゃいでいたのかな。
私も楽しかったよ。ありがとう。
八月八日~お母さんのお母さん
母方のお墓参り③
↑ここまで書いて、投稿しようと思っていた。下書き完成した翌朝、目覚まし時計が突然なった。二日連続で。母も昨日のささやかなあたたかい一日の余韻にひたっているのかなと思いながら目覚まし時計をとめた。ふと時間をみた。私の誕生日の数字。
八月八日の投稿のときもだけど、今朝も。書き上がったあとに、ね。
お母さんのお母さんも、お母さんも、チャーミングなイタズラしちゃって!
今日も朝からいい気分。
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