ビミョーに惜しい~「おカネ」

なんとなく

生々しい話になりがちなので、本当は避けておこうと思っていたのだけど。。。

ふれた方が私の真意が伝わるかなと思い、書いてみるコトにした。

エラそーに書いてしまうけど…

昨年から意識をかえてみて、私の中でさらに強くなった気持ち。

今の世の中「おカネ」は必要だけれども一番大切なモノではない。「おカネ」から出発する発想では、しっくりこない。

歳を重ねて「おカネ」に執着したヒトが幸せとは言えない最期をむかえたコトをたびたび目にしたからか。

「おカネ」では解決できないコトの方により一層魅力を感じるからか。

先日、ココロを許して本音を話せる方とお会いした。私より年齢を重ねていらっしゃる。ただ、不思議なチカラや、目にみえない大切なナニカに対しての意識は私の方が先輩だとおっしゃる。

私よりも、一生懸命知識を吸収しようと努力されている。そういう感覚を持つ交友関係もひろげていらっしゃる。

地位名誉財産よりも、信頼関係や目にみえないナニカを大切にしたいとおっしゃる。

しかし、話題の最後には必ず「おカネ」を判断基準にするようなまとめ方になるんだよね。

大切にしたいナニカを、金額換算するような話になる。

なんか、ビミョーに惜しい気がする。

私のコトをよく思っていただいて、おほめいただく。私の感性を使って仕事にすればいい、とも。

お気持ちは、ありがたい。

でもね、私からわきでるコトバや考えは、「おカネ」には置きかえられない。

もし、私が話すコトに興味をもってくださるのなら、それを通じてみなさんにおだやかな日々を手にしていただきたい。

そういう方々が増えていけば、世の中おだやかなになる。

明るい未来がやってくる、はず。

あ、もちろん、その方とはこの先も親しくしていただけたらありがたい。


ダメと言ったわけではない。

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