八月八日~お母さんのお母さん

両親

八月八日はハハの日とも読めるからダジャレで、というわけではない。八月八日は、私の母のお母さんの命日。七十年以上前に旅立たれているので私はもちろん、父もお会いしたことがない。

家庭科(当時は違う表現だったような、覚えていなくてごめんなさい)の先生。良妻賢母、やさしくてしっかり者とのこと。母が五歳のとき、母のお母さんは四十二歳で旅立たれた。母はお母さんの記憶がほとんどないそうで、とてもよく覚えているのは葬儀の様子と言っていた。

母からこの話を聞いたのは私が小学二年生のとき。とても驚いた。私が母方のおばあさんと呼んでいたかたは、祖父が再婚されたかただった。

なので、母から事実を聞いてからわが家では母のお母さんのことは「お母さんのお母さん」と呼んでいた。もちろんひきつづき、おばあさんは、再婚されたかたの呼び方。

おばあさんもまた、家庭科の先生だった。よくちらし寿司をふるまってくださった。

おばあさんはお仕事が忙しく学生時代の母が家のことをまかされることが多くなり、宿題はもちろん勉強する時間がほとんどとれなくなったという。さらに大学受験の日に家族が入院してしまい、母は受験会場に行かれず浪人することになった。浪人中は家にいる時間が多く家事はきりがないので、ますます勉強する時間がとれなかったという。希望の学校や学部は断念し、入れた大学でがんばった母。


だからこそ父と出会い私たちがうまれたので、それはそれでよかったと思っていてくれたなら、うれしい。

お母さんのお母さん、キリッとした立派な表情のお写真をみても、キチンとしたかただということは、よくわかる。でもあるとき、ふと思った。あのユーモアたっぷりの母のお母さん。チャーミングな意外な一面、たくさんお持ちだったよね、きっと。お会いしてみたかったなあ。

そして、毎年毎年、八月八日になるとお母さんのお母さんを思いだす私。ありがとうございます、今年も私の記憶に来てくださって。また、来年ね。

↑ここまでで、投稿しようと思っていた。下書き完成した翌朝、もう数年間使っていない目覚まし時計が突然なった。電池がいきていたこともびっくりしたが、なんとなく、お母さんのお母さんのイタズラに思えた。母かなとも思ったけれど、たぶん、お母さんのお母さん。数年間使っていない目覚まし時計は他にもたくさんあるけれど、音が一番コミカルなものがなった。やっぱり、チャーミングなかたなんだ。ちょっと、親近感がわいた。

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