やり場のあるイカリ

ことば

久しぶりに、怒っている。

長い間大切にしてきたコト。
まもりたかった大切なコト。

話をキチンと聞けないヒトに、一瞬にしてぶちこわされた。

とてもとてもショック。

最初は呆然とするしかなかった。
「無」に近かったのかもしれない。

それからジワジワとイカリが。
とてもとても許せない。
すぐに文句を言おうかと思った。

イカリの次には悲しみが。
文句を言ったトコロで、どうにもならない。
そのヒトに謝ってほしいわけではない。
慰謝料がほしいわけではない。

できるコトなら、元通りにしてほしい。

しかしそれは、不可能なコト。

もう、どうにもならない。

あきらめるしかないコト。

悲しみの次にはまた「無」
再び呆然としている。

どうしたらいいのか。
どうにもできない。

やり場のあるイカリ

ぶちこわしたヒトが、アタマ使って考えて行動すればよかったんだ。
それは、特別なコト?
いやいや、普通のコトでしょ。

なんだかね、こういう身近なささいなできごとでさえ、なんかおかしい。
最近強く感じる。

キチンとコミュニケーションとれたらなかった事故でしょ。
うわべだけみて、フラフラふわふわしている思考だからでしょ。

これからの時代、みんなでゆずりあってまわさなきゃ。

結局、言いたいコトはいつも同じ。

さて、このやり場のあるイカリ、どうおさめるか…。

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