うまれてしばらく。赤ちゃん期。意思はあるものの、たいがいのコトは親の意思で過ごす日々。食べるモノ、着るモノ、寝る時間、保育園にはいるか自宅で過ごすか。すべてが親の意思。
もう少し大きくなった子ども。意思表示する機会が増えてくる。その日に着たい服を選んだり、自由におもちゃで遊んだり。それでも大きな決めごとは親の意思。習いごとや進路を決めるときに子どもの意思はあまり強く入らない。ほとんどが親の意思。
さらに成長して大人になる。いつからだろう。自分の責任で、自分の判断をしていく。自分の意思。トキには関係が良好なご家族ならば親の意思を参考にする。その場合も最終決定は、自分。
たいていのヒトは。
しかし、人生はヒトそれぞれ。
大きくなっても親の意思の呪縛から逃れられないヒトがいる。本人は気がついていない。
本当に、やっかい。
トキにはシニア世代になっても親の意思
で動くヒトがいるらしい。
知人の友人の話。
財産をめぐる裁判中の知人の友人。非人情的な手段で作成された合法の書類があるそうで、知人の友人に勝ち目はないらしい。知人の友人が勝てないと、誰が聞いても理不尽な結末になるらしい。ただ、合法の書類には重たい権能があるらしい。
この裁判、80代母が主導、言いなりの原告は50代娘。子どもの意思は親の意思。
その方たちは最期、笑えるのかな。幸せなのかな。
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