母の最期のコトを。
母が最後に意識をなくしたとき近くにいたのは父一人。横になっていた母が突然叫び気を失い、その後声をかけたけれども反応がなかったという。
救急車で運ばれた病院でそのまま旅立った。
なので父がお孫さんと交わしたような最後のコトバがあったのかわからない。
その日の夕方に歩いて近くの小さな病院まで行く母につきそった私。今思えば、いつもの前向きな母ではなかった。数ヶ月後の友人との約束、美容院の予約、数日後の気をつかわないわが家での食事会、全て早くキャンセルの連絡をして、と。
時間も時間だったし、先の予定は元気になるだろうからキャンセルしなくてもと、そのときは深く考えていなかった私。
母をおいて病院からいったん離れ、治療が終わるころむかえに行った。ほかの患者さんの具合がよくないのか、病院は救急車をよんだりバタバタしていた。母の具合もかなり悪そうだったが、より深刻な方がいらしたのかな。
母のお会計は翌日の診療のときにまとめてと言われ、二人で病院をあとにした。
行くときには明るかった道も、すっかり暗くなった秋の夕方。
母には帰り道「あなたたち家族はおだやかにうまくいっていてなにより。安心した。お孫さんはいい子に育っているね。あなたは本当に身体を大切にね」というようなことを言われた。
小さな声だったしまさか最後の日になるとは思っていなかったのでニュアンスでしか覚えていない。私に対して「身体を大切にね」と言ったコトバだけは、ハッキリ覚えている。
その一時間後くらい、母との最後の会話。近くまで出かける用事があったので、様子をみてから出かけようと思い、実家に立ち寄った。
「身体を大切にね」とまた言われた。
元気なころの母は「いくつになっても子どもをまもるのは母親」と言い、助けられたことばかり。子どものころからずっと。私が大人になって親になってからも。
いま思うと母は自分の体調がどのような状況かわかっていたように感じる。この先助けてあげられないからがんばって、と言いたかったのかもしれない。私が母親であるのでお孫さんをまもりつづけるためにも「身体を大切にね」と伝えてくれたのかもしれない。
いたらない娘だったけれど、母が「母親」を満喫した人生と思っていてくれたら私も少しは救われる。
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